冬に咲いたクローバー
今朝いつものように父上を会社まで送った帰り、
なぜだか急に「マメのお墓に行かなきゃ!」という思いが込み上げ
そのまま実家へ向かいました。
仕事をしていない母上は、日付を気にすることが全くなくなり
今日はまだ11月22日くらいかと思ってました。
でも違ったんですね・・・。
さっきカレンダーを見て気づきました。
今日は30日、
マメが亡くなって丁度3ヶ月目の月命日です。

埋葬した直後のマメのお墓です
いつものようにお線香に火をつけていると、ある事に気づきました。
マメのお墓は、上のように素っ気無いただの土で、
全然なにも生えてこない場所だったのに
お墓を包み込むようにクローバーが生えていました。
クローバーって春の草じゃなかったっけ・・・?
こないだ来た時は生えてなかったよね?
と思いよく見ると、
小さな四つ葉のクローバーがひとつ・・・。
なんだかマメが残してくれたもののように思えて、
感極まって泣いてしまいました。
あまりロマンティックなことを信じるタチではないのですが
さっきカレンダーを見て特別な日だと気づいてしまい、
何とも言えぬ気持ちでこれを書いております。
そして3ヶ月経った今もケージは片付けられないままです。

トイレだけは綺麗にしたものの、それ以外全く手をつけることができず
マメが亡くなった日のまま残っています。
マメが食べていたエサを捨てることさえできません。
彼女の牧草入れとお皿、給水器も、今は殿が使っています。
最近寝室にまで進出し始めた殿がやってきました。

ケージにマメの毛がたくさんあるので気になるようです。
そしてビクビクしながら、やっと近づいたかと思うと・・・

足ダンし、カメラに残像だけを残し逃げていきました。
殿にかかれば、母の感傷も一瞬で吹き飛びます。
恐らくこの2匹が対決していれば、
体格・噛み・暴れ度・圧力感・遠慮のなさ・・・・
全てにおいてお姉ちゃんの勝利であったでしょう。
命拾いしたね・・・殿・・・。
あと、母上、いつも泣く泣く書いてますが、
ほんとは全然泣かない子なんですよ。
小学校~社会人までの友人知人で、
母上の泣いた姿を見た人はいないと思います。
これズバリ、
「女だからって泣くんじゃねー!」
・・・そう言いながら幼い私を蹴りまくった小さい兄ちゃん
「人前で泣いたからって済むと思うなー!」
・・・そう叱りながらグーでパンチをくれたお父さん
全て貴方達の教育のおかげです。
おかげで人前で泣けない冷たい女になりました。

ちなみに大きい兄さんとは喧嘩したことがありません。
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先代の四十九日です。
牧草ブッフェ第二回を書こうかと思っていたのですが
今日は亡くなった先代の四十九日ですのでマメのことをちょっと・・・。
もうブログには2度と書くまいと思ったマメの記事。
自分で書いておきながら、思い出すと辛くて見ることもできませんでした。
でも大分落ち着いたのと、“マメを忘れたくない”という思いの方が強いので
こうやって残していけたらいいなぁと思えるようになりました。
殿に支えられ、母上も一歩成長です。
デジカメがなかったこともあり、マメの写真はあまりありません。
でも壁一面はマメの写真館と化しています。

なんかゲッソリした写真が一枚ありますが・・・換毛中?
もちろんマメの大好きだった父上のデスク上にも。

寝室では一緒に寝ています。

トイレにもマメは貼られています。臭そうです。
仏教の四十九日というと、現世を離れて輪廻転生する日でしょうか。
またうさぎになってるのかなぁ。
次はもっといい人に飼ってもらえるといいね。
マメのことで一番先に思い出すのは、今年の3月のことです。
父上と母上は3月にバリで海外挙式をしました。
なのでマメを親戚の家に1週間あずけることに・・・。
しかしマメは内弁慶で神経質なとこもあったので、心配で心配で・・・。
誰にも言いませんでしたが、自分の挙式なのに「早く帰りたい」と思ってました。
そしてようやくお迎えの日。
「もしかして忘れてるかも・・・」という不安もある一方で
感動の再会を期待する母上。
しかし・・・
父上と母上を見ても全く無反応なマメ。
顔もこちらに向けません。
撫でてもピクリとも動きません。
こんなマメ、見たことがある・・・と思いました。
ホームセンターで売られていた時の無愛想で感情のなさそうなうさぎ。
それを思い出した時、もう2度と旅行にはいかないと決めました。
マメを家に連れて帰りケージから出すと
一目散に父上のパソコンデスクの下に潜り込みました。
忘れてなかった!と嬉しい反面、
きっと「捨てられた」と思っていたのだと本当に申し訳なくなりました。
その後かなり神経質にはなってる様子でしたが、
少しずついつものマメに戻りました。
殿を迎える時、父上に「旅行には行かない」と念押ししました。
うさぎさんによっては、飼い主がいない不安で死んでしまった子もいるようです。
でもこの先、どうしても家を空けねばならないことは必ずくるでしょうが
その場合は家に置いていって、ペットシッターでも頼みたいと思います。
今願いが一個叶うなら、やっぱりマメと会いたいです。
一秒一万円でもいいです。
思いっきり抱っこして、あの強烈なうさキック&本気噛みされたいです(笑
幼稚園児が書いたかのようなマメの墓標・・・

作・母上です。スミマセン。
お百度参り?と聞かれそうなくらい毎日何回も行っていた
お墓参りも今では一週間に一回になりました。
子離れできてきたようです。
墓標の裏側。

寂しくないように、父上と母上を書きました。
気の強い子だったので「迷惑だわ!全く!」と言われそうですが・・・。
ウフフ、それでいいのです。
それでこそ私たちの愛したマメなのです。

先代の死
今日は先代が亡くなって一ヶ月目の命日です。
正直、「まだ」1ヵ月なのか・・・という気持ちでいっぱいです。
とても一日一日が長く感じました。
殿を迎えたものの、この1ヵ月先代を思い出し泣かない日はありませんでした。
名前を『マメ』といいます。女の子です。

当時、父上は仕事が忙しくあまり家にいなかったため
「一人じゃ淋しかろう」という父上の計らいでうさぎを飼うことになりました。
うさぎに全く無知だった私は急いで本などを買い、
「たれ耳は嫌だ、ネザーが欲しい」とホームセンターへ行きました。
そしてそこで見つけたのは抱っこを嫌がらないというネザー。
ネザーの隣いたのは、他の子に比べ大きくなってしまった愛想のないロップ。
なぜだかこの子を連れて帰ってしまいました。
お互いに「なんでこの子?」と思っていましたが、
このまま売れずに大きくなったらどうなるんだろう・・・
と二人とも思っていた為、それを口にすることはありませんでした。
家に帰るともう大変です。
あまり家にいない父上には慣れないし、噛むこともありました。
雌なのに交尾もスプレーもするし抱っこは大嫌い、
男の人が苦手で、来客に男性がいると隠れてでてこない。
とても手のかかる子でした。
それでも本当に本当に可愛く思っていました。

月が過ぎると父上にとても懐くようになりました。
普段は全然違う場所にいるくせに、父上がいる時は必ず
父上のパソコンデスクの横にいました。
父上がパソコンばっかりして構ってくれないと、
自分から体の上によじ登り「なでて」と要求するようになりました。
趣味は父上の毛繕い。
ペロペロと父上をなめまわし、髪の毛まで毛繕いしてくれます。
私の事は全く噛まれないけれど、そういった愛情表現をされたこともなかった為
「私が世話してるのに~」とすごく妬ましかったです。
誕生日がわからないので年齢が正確にわかりませんが、
うちに来てから1年と4ヶ月経った頃・・・
大好きなペレットを食べなくなりました。
“うさぎは一食抜いただけで死んでしまうこともある”と思い込んでいた私は
急いで病院へ連れていきました。
おそらく毛球症とうっ滞だろうということで治療を開始。
胃腸を動かす薬を3種類試しましたがどんどん状態は悪くなっていきました。
少しは食べていた野菜も全く食べなくなり、
ケージを開けても出ようとせず、うずくまっています。
トイレへさえも立てず、緑と白の混じった下痢をし始めました。

そして病院へ通って一週間目・・・
夕方、病院で点滴と注射をしてもらい家路に着きました。
マメは帰りの車の中ずっと震えていました。
そして夜中の2時。
テーブルの下にいるマメの様子がおかしいのです。
息が異常に荒くなっていました。
急いで病院に電話しましたが誰も出ません。
抱えようとすると苦しいのか「フゴッフゴッ」と呼吸がさらに乱れます。
動かしていいのかどうかもわからず、ただ撫でるだけしかできませんでした。
息が荒くなって10分後・・・
マメは立ち上がろうとしました。
しかし左前足が完全におかしく、手の甲で立っているのです。
次は右後ろ足が・・・左後ろ足が・・・と順番に動かなくなっていきました。
それでもどこかへ歩こうとするマメ。
四肢が立たない状態で、這いつくばって亀のように動くマメに涙が止まりませんでした。
もういいよ、歩かなくていいから
お願い動かないで。
そう父上と声をかけ続け、同時に何もできない自分が悔しくてたまりませんでした。
そして最初の前足が立てなくなってから15分後
マメは「アッアッアッアッアッ」と5回鳴き横に倒れました。
この声がうさぎが死ぬ時に泣く声だと知っていた父上が
「死ぬ!」と叫んだので二人でマメの顔に自分の顔をよせました。
この時呼吸はしていたので意識はまだあったと思います。
マメ大好きよ、死なないで
と声をかけましたが、そのままお腹が痙攣し動かなくなり
全身の力が抜けたように動かなくなりました。
あぁ、死んでしまったのだと思いました。
二人とも叫ぶように泣きながらマメを抱きました。
あんなに抱っこ嫌いで長く抱かれてることなんかなかったのに、
腕の中で大人しくずっと抱っこされていました。
初めて大人しく腕に抱かれているマメは、
体重が3キロでまだ温かくて人間の赤ちゃんみたいでした。
5分もすると死後硬直が始まり、マメは抱っこされたままの姿勢で固まってしまいました。

その夜はベッドで川の字になって寝ました。
父上と二人でマメを抱っこするように寝ました。
結局朝まで寝れず、父上が仕事に行く前に実家の庭に埋めました。
実家はすぐ近くだったので、ここなら毎日でもこれると思ったのです。
二人とも泣いてばかりで、寝れず食べれずの状態が続きましたが
そんなのは全く辛くありませんでした。
いるはずのマメがいないことが心臓が握りつぶされるように辛くて仕方がありませんでした。
この十日後に殿を迎えるのですが、今だ思い出すと涙が出ます。
殿がくるまでは、マメがいないことへの涙だったのですが今は、
“あの時ああしていれば・・・
前兆に気づいていれば・・・
もっと予防をしていれば・・・
もっと遊んであげていれば良かった・・・”
という後悔の涙です。
殿と遊んでいる時だけ本当に忘れられます。
この後悔を二度と繰り返さないように殿には接しているつもりです。
暗い話で申し訳なかったのですが、
1ヵ月たった今日
そのままにしていたマメのケージを片付けなきゃな・・・
という自分への節目のつもりで書きました。
片付けられるかな・・・むむ。


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